第14回特別企画展「南方熊楠と同級生たち」


イベント詳細


熊楠の生まれた1867(慶応3)年は、明治日本の社会と文化の建設者として各方面で活躍することになった人物多数の出生が集中した年として知られています。実年齢が多少前後する人も含めれば、熊楠と同年輩の著名人のリストはたいへん長いものになります。
そのなかでも、正岡子規(俳人)、夏目漱石(英文学者・小説家)、芳賀矢一(国文学者)、山田美妙(小説家)、秋山真之(海軍軍人)らは東京大学予備門における同級生で、十代後半のいっときに人生の岐路が重なった後、それぞれの世界へと羽ばたいていくことになりました。
徳川時代が終わり、明治の新時代がはじまるときに生まれた、かれら「同級生たち」の群像をご紹介し、かれらの時代の日本のありようと、その中での南方熊楠のすがたを探る展示としたく思います。どうぞご期待下さい。
■展示
[同級生たち] 正岡子規、秋山真之、夏目漱石、山田美妙、上田万年、芳賀矢一、小笠原誉至夫
[周辺のひとびと] 柳家つばめ、河東碧梧桐
□人物紹介
◇正岡子規(まさおか・しき)1867-1902
俳人、歌人。本名、常規(つねのり)。俳句、短歌、小説、随筆など、多方面に渡り創作活動を行った。熊楠とは共立学校、大学予備門で同級。熊楠の回想では、子規は煎餅党、熊楠はビール党の大将だったという。

◇秋山真之(あきやま・さねゆき)1868-1918
軍人。日露戦争時、日本海海戦で首席参謀の職にあり、電文「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」は有名。正岡子規とは同郷で親友。熊楠とは共立学校の同級で、当初は子規の煎餅党であったが、後に熊楠のビール党に降参したとか。

◇夏目漱石(なつめ・そうせき)1867-1916
小説家、評論家、英文学者。本名、金之助(きんのすけ)。代表作に『坊ちゃん』など。子規との交遊は有名。熊楠とは大学予備門で同級であるが、直接的な交流はなかった模様。しかし、共通点として、イギリスへの留学、鴨長明『方丈記』の英訳などがある。

◇山田美妙(やまだ・びみょう)1868-1910
作家、評論家。本名、武太郎(たけたろう)。尾崎紅葉らと硯友社を結成して『我楽多文庫』を創刊、言文一致体の創作活動などで明治文学史に足跡を残す。熊楠の日記に、「此人予と予備門にて同級たり。十九歳のときより言文一致の著多し。美妙斎と号せり。」とある。

◇上田万年(うえまだ・かずとし)1867-1937
国語学者、言語学者。東京帝国大学国語研究室の初代主任教授。日本の国語学の基礎を築く。大学予備門では、熊楠らより3年先輩であった。

◇芳賀矢一(はが・やいち)1867-1927
国文学者。東京帝国大学教授など。日本の国文学の基礎を築く。熊楠とは大学予備門で同級。『今昔物語集』研究について交流あり。國學院大學総長時代に、熊楠を講演に招待するも、熊楠は壇上で百面相をしただけだったとか。

◇小笠原誉至夫(おがさわら・よしお)1868-1945
実業家、自由民権運動家。熊楠が11歳からの友人で、大学予備門では同期であり、下宿先も同じであった。熊楠の子らを病院に紹介するなど、晩年まで交際があった。

◆柳家つばめ(やなぎや・つばめ)1857-1912
落語家。本名、西村(岡谷)喜代松。1883年頃「柳家つばめ」を襲名。仙台節を唄い花柳界、市中で大流行した。その後、五代目都々一坊扇歌など他の名とつばめの名をしばしば行き来した。大学予備門時代の熊楠をはじめ、正岡、秋山、夏目らも寄席に通い、つばめのファンであった。

◆河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう)1873-1937
俳人、随筆家。本名、秉五郎(へいごろう)。正岡子規、秋山真之らと同郷で顔見知り。子規の弟子で後継者。1911年、全国俳句行脚を行った際、熊楠を訪ね、訪問記を発表している。
●シンポジウム開催!
4月28日(日)14:00~16:00
【テーマ】
○明治という新時代
○和歌山・松山・東京
○交錯する人物群像・重なる体験
【パネリスト】
◇石丸耕一氏(坂の上の雲ミュージアム 学芸員)
◇杉山和也氏(青山学院大学 大学院博士課程)
◇松居竜五氏(龍谷大学 教授)
【コーディネーター】
◆田村義也氏(成城大学 非常勤講師)

会期 2013年3月23日(土)~5月6日(月)
時間 10:00~17:00(最終入館16:30)
会場 南方熊楠顕彰館
休館日 3/25(月)、26(火)、4/1(月)、8(月)、9(火)、15(月)、22(月)、23(火)、30(火)
入館料 無料