鬪雞神社

 田辺の中心市街地の東方にあたり、仮庵山の北麓に鎮座する神社である。江戸時代には新熊野鬪雞権現社と呼ばれたが、明治初年に鬪雞神社と改称した。社名は、神前にて紅白の鶏を戦わせ、源平合戦の勝運を占ったとの『平家物語』の故事に由来する。社殿は6棟から成り、本殿が1661(寛文元)年、上殿が本殿より古い江戸時代前期、西殿が1737(元文2)年、他の3棟が1748(延享5)年の再建である。背後の仮庵山は尾根部と谷部が入り組む複雑な地形で、主にコジイから成る照葉樹林の中にイヌマキ・クスノキ・ホルトノキなどの大木が散在する。熊楠は『南方二書』において仮庵山を「クラガリ山」呼び、平地には類を見ない密林であるとして風致景観上の重要性を指摘した。熊楠の妻松枝は鬪雞神社の宮司であった田村宗造の四女で、熊楠が田辺に居を構えた頃から鬪雞神社の神林が覆う仮庵山を調査研究の場とした。

 

 

当田辺の闘鶏権現のクラガリ山の神林またなかなかのものにて、当県で平地にはちょっと見られぬ密林なり。・・・三百年ばかりの老樟はなはだ健康なるがあり、・・・枝条蓊鬱として、その樹株の下より清水
断えず下り神池に注ぐ。実にクラガリ山の名に背かず。

                                          『南方二書』


南方曼陀羅の風景地
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