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第28回南方熊楠賞【人文の部】選考報告

人文の部選考委員会
委員長 松澤 員子
第28回南方熊楠賞 人文の部は、候補者としてあげられた5名の中から慎重に審議した結果、南方熊楠賞の受賞者に櫻井治男氏を選考した。


 第28 回南方熊楠賞の受賞者に選考委員会は、熊楠による環境保全運動として知られる、明治末期の神社合祀(整理)問題について、地域社会に視点を降下させ、長年地道に調査研究を行い、成果をあげてきた櫻井治男氏を選んだ。櫻井氏は、1949 年に京都府で生まれ、皇學館大学文学部を卒業後、同大学院文学研究科を修了した。その後、同大学に助手として勤務し、教授、神道研究所長、社会福祉学部長などを経て、現在は同大学大学院特別教授職にある。この間、英国ケンブリッジ大学において、カーメーン・ブラッカー博士のもとで客員研究員として一年間、英国の民俗行事と日本のそれとの比較研究の機会を得ている。

 櫻井氏は、学部・大学院時代に古代文学を専攻していたが、学生時代に知遇を得た、宗教学者の原田敏明氏、神宮学者の櫻井勝之進氏の影響を受け、宗教社会学的な観点から村落祭祀、神社祭祀の研究を進めるところとなり、明治初期の神社制度変革以前の神社祭礼資料の翻刻刊行作業に携わるとともに(原田敏明監修『日本祭礼行事集成』6- 9巻)、地域の祭り・行事の調査を積み重ねてきた。なかでも、明治末期から大正初年にかけて、集中的に展開された政府(内務省)主導の神社政策である神社合祀について、この施策が具体的にどのように行われ、地域住民がそれをいかに受け止め、その結果として村落祭祀や神社のあり方に与えた影響などの研究を深めた。

 周知の通り、神社合祀は全国的に実施されたが、都道府県により差異が生じており、三重県・和歌山県は他に抜きん出て合祀が強行された県として知られている。前者では、6,800 余社から740 社弱へ、後者では約3,800 社弱から550 社弱へと神社が減少し、熊楠が全国的にむけてその政策批判を発信し、自らも反対行動に及んだことは特筆されるところである。これまで神社合祀問題についての研究では、中央政府の意図や動向に関心が寄せられていたが、櫻井氏はもっぱら三重県下をフィールドワークの対象として、その施策が展開された「行政村」単位での合祀の事情を具体的に精密に明らかにするとともに、従前ほとんど注目されていなかった、合祀後の地域社会の様相、すなわち合祀により「ムラ氏神」を失った地域では、政策が意図したような合祀先神社への精神的統合化が行われたのかどうか、むしろ地域住民においては否定的ではなかったのか、という問題や、祭礼行事の持続と変容の内容を解明することに独自の視点を据えて、その結論を導き出している。こうした、櫻井氏の研究内容については、神社整理問題の先行研究者である森岡清美氏(『集落神社と国家統制』吉川弘文館、1987 年)などからも高く評価されている。特に櫻井氏が術語化した「神社復祀」という地域住民による行動、すなわち失われた「ムラ氏神」を再び自己の集落へ持ち帰り神社を復興・再建する状況についての研究では先駆的な役割を果たし、地域神社研究に新たな分野を提示した点でその意義は大きい。櫻井氏はこうした研究を『蘇るムラの神々』(大明堂、1992 年)、『地域神社の宗教学』(弘文堂、2010 年)として世に問い、また国際学会での発表や論文執筆を通して海外への研究発信も行ってきた。
 櫻井氏が研究を進めてきた神社合祀問題については、時代的に当事者であった熊楠の発言や反対運動をリードした諸活動に大きな関心が寄せられている。しかしながら、熊楠自身が深い関心と憂慮を示した地域神社(鎮守の森)のありかたが、現在に至るまでどのような経緯を辿ってきたかを、現地調査を踏まえ客観的に問い続けてきた櫻井氏の研究は、神社合祀を単なる過去の事件にとどめず、熊楠が主張した合祀反対意見の内容検証を深めるとともに、彼の思考の本源にも迫る問題を含み、今日的なエコロジーをめぐる課題と神社のもつ多義的な文化上の役割を解明する基礎研究として極めて重要な位置にあるといえよう。

 地域神社についての研究は、地域史の問題として限定化され易く、また著名神社を主とする研究からは等閑視されてきたが、櫻井氏はその枠組みを越えて、幅広く日本人の神観念、自然観念の問題としても位置づけており、その志向性は自ずから熊楠が指摘した問題を底深く継受するところへつながり、熊楠顕彰の一端を示すものといえる。

 以上により、同氏を第28 回南方熊楠賞受賞者に選考した。